腰椎椎間板ヘルニアで救急搬送→入院しました (6) MRI検査、退院へ

退院前の朝食

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腰椎椎間板ヘルニアで救急搬送→入院しました (1)
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腰椎椎間板ヘルニアで救急搬送→入院しました (4)
腰椎椎間板ヘルニアで救急搬送→入院しました (5)

MRI検査、退院へ

日曜日には家族が来てくれて、人生初の車椅子に乗りました。
息子が一生懸命押してくれて、エレベーターに乗って1階の外来スペースやコンビニを探索。
デイルームの椅子に座っておやつを食べることも出来るようになりました。
坐骨神経痛は座っているよりも立っている方が楽なので、座れるようになったことはかなりの進歩でしたが、やはり少しの間でも腰が痛くて辛かったです。

それを見ていた看護師さんが、「もうおしっこの管抜きましょうか」と。
そろそろトイレぐらいは自分で行けそうだったので、すぐに抜いてもらいました。
トイレにも行けなくなって丸々10日。長かったですがようやくスッキリしました。

そして週が明けるとすぐに、火曜日の午前中にMRIの検査が入りました。
リハビリも、先生は通常つきっきりで歩行練習や運動の補助などをしてくれるのですが、私の場合は自分でリハビリ室に行き、そこで自由にストレッチや昔やっていたヨガのポーズなどをして終了。「もういつ退院しても大丈夫」と言われるまでに回復していました。
突然シャワーの許可も出て、実に11日ぶりのシャワー。シャンプーももちろん11日ぶりでした。やー、スッキリ。

そして火曜日は、11時と聞いていたのに9時にいきなりMRIに呼ばれました。
MRIは6年ほど前に手の痺れがあったので脳の検査で経験済み。大病こそないものの、だいたいのことはもう経験していますね。。
ドーム状の所に仰向けになり、磁気のヴォーンヴォーンと何とも言えない音がする中、ヘッドホンをつけて板状のものをお腹の上に乗せられて入っていき、20分ほど安静にします。
まあ2回目で仰向け時の痛みもほぼなかったので、ぼんやりしているうちに終わりました。

その後病室に戻ると、先生が「MRI行ってきて下さいね」と言うので「もう行ってきましたよー」と言うと、すぐに画像を見てくださったのですが、私を呼びに来るなり「大きなヘルニアが」と…。
とほほ…部屋に呼ばれて画像を見せながら、「実はヘルニアが」というシチュエーションを想像していたのに、こういうのはお医者さん的には興奮するんですかねw こっちも思わず「マジで!?」と叫びながら説明室について行きましたw

結果は、 第4腰椎と第5腰椎の間の椎間板ヘルニア。
ここは最も負担がかかりやすく、腰椎のヘルニアの中ではいちばん多い典型的な症状だったようです。
比較的若い人に多く、私も30代で激しい脚の痺れが出ていたので、先生にも「年齢的にもこの感じだとヘルニアかもしれませんね」と何となく言われてはいました。
それでも自分ではなぜか絶対に違うと思っていたのですが(多分そう思いたくなかっただけでしょうが)、検査結果を見ればもう信じるしかありません。
とは言え、いきなりのことで何を聞いていいのかすらよく分からず、その場は少し雑談をして、「木曜に退院したい」ということを伝えて終わっただけでした。

そして午後には整形外科の病棟から回復期の病棟へ移ることになり、看護師さんが引っ越しのお手伝いをして下さって、移動も無事終了しました。

退院日も決まり、残り2日をまた違う景色のベッドで過ごすことになりました。
院内を散歩をしていると隣は小児科病棟で、育児に疲れた時や子供が病気になった時のお母さんたちに向けたメッセージがいくつか貼り出されていて、離れて頑張っている息子のことを思い出してふと涙してしまったりもしました。

小児科で見つけたメッセージ

色々なことがあった入院生活でしたが、育児でボロボロになっていた心が、看護師さんや先生に「どうですか?」と毎日声をかけてもらい、大人の方とコミュニケーションをとることで生き返ったような気がします。
歩けるようになってからはむしろ、ふらりと散歩したりコンビニでコーヒーを買って飲んだりと、普段は絶対にできないくらいにのんびり過ごすことができて、リラックスした気持ちで治療に専念することができました。
回復病棟での2日半はもう、体がこんなになるまで頑張ったご褒美だと思って過ごさせてもらいました。

祝日だった木曜日の朝、荷物を整理しながら少し寂しい気持ちになりましたが、夫が迎えに来てくれて、看護師さんや先生に挨拶をして病院を後にしました。
3週間分のお薬(リリカ、ノイロトロピン、メチコバール)と、外来の予約を入れてもらい、通院しながら治療を続けることになりました。

帰宅後買い物に出ると、目の前にきれいなアーチ状の虹が出ていました。
あの時の清々しい気持ちは、一生忘れることはないと思います。

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