悲情城市・台湾・日本・きっかけ

ミクシィで「悲情城市」という映画のレビューを書いた。
最近こちらで映画のレビューを書いていないけれど、中国映画はよく見ている。
これは終戦直後の混乱状態の台湾を描いた候孝賢の名作。
九份の街を舞台にした、トニー・レオン主演の映画というとピンと来る人は多いんじゃないかな。

候孝賢の映画、最近では「最好的時光」という作品があるが、「悲情城市」と共通している点は登場人物の台湾女性が「ヒロミ」などという日本名で呼ばれていることだ。
戦後の時代を生きた人たちの親の世代は、日本統治時代に生まれた人たち。
日本語で生活して、子供にも日本語の名前をつけたというわけだ。
そのため、この年代の人たちは中国語読みでも日本語読みでも通用する名前を持っているらしい。
そして今の台湾の人たちが親日的である理由は、戦前から台湾に住んでいた本省人と呼ばれる人たちが、大陸より流れてきた国民党勢力、つまり外省人と衝突し、日本統治時代を支持した名残なのだそうだ。
日本統治のことはなんとなく知っていても、なかなか台湾の戦後の時代背景までを知る人は少ないのではないだろうか。

台湾のことをご存知の方は基本中の基本なのかもしれないが、ずっと大陸しか見てこなかった私には目からウロコの事実だった。
台湾芸能が好きでここを見てくれている方が、台湾という国のことを知るきっかけになれば。
これを教えてくれたのは、台湾人と日本人の両親を持つ男の子。
あまりに距離が近すぎて、君のバックグラウンドを聞くこともなかったね。
これをきっかけに、もう少し彼のことを知りたくなった。

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