底冷えの京都

しんしんと冷える京都の底冷えとは、このことを言うのだと初めて肌で感じた瞬間。
生まれて20数年間ずっとこの街で暮らしてきた私は、誰かが言うその寒さが特別なものだと感じたことはなかった。
ここ数日比較的暖かかった上海から降り立った故郷の空気はいつになく冷たく、風が頬を刺すように通り抜ける。
最近は日本に帰りたいなんて思うことは少なくなった。
それでも何ヶ月かに一度、この街の空気を吸って車で駆け抜けるだけでも、突然泣きたくなるような懐かしさがこみ上げてくる。
節分やバレンタイン。他愛のないことだけれど、それだけで暖かく包みこんでくれるような季節を感じる言葉たち。
毎日毎日、今の私を夢見て眠りに落ちていた狭いシングルベッド。
目にするものひとつひとつに思い出が蘇り、昔の私がわけもなく愛おしく感じる生まれ育った街。
同時に脳裏をかすめるのは、あの人が隣にいたダブルベッド、これからも何が起こるかわからないワクワクの詰まった愛おしい街へのほんの少しのホームシック。

しんしんと冷える京都。これ以上に私に暖かい街はない。
今夜も幼馴染と、募る話に花が咲くことを楽しみにして。